長い歴史の中には、いろいろな理由から部落が集団で移動することがある。
日本を歩いていると、近隣と明らかに違った文化を持っている部落に出くわすことがある。そのルーツをたどると、いろいろなことが見えてくる。
高麗
埼玉県に高麗郡という地名があった。ここで言う『高麗』とは、韓国の『高句麗国』のこと。昔高句麗国から、陶工たちがお雇い外国人として日本中に迎え入れられた。焼き物の技術を移入するために迎えられたので、かなり良い待遇だったらしい。ところがある時、この技術の流出を恐れた為政者によって、彼らを一つの場所に集める必要があり、高麗郡に集められた。当然、韓国の文化や習慣も集約される。彼らは、人の住まないその地を開墾して、部落を築いた。神社に行くと見かける『狛犬』も、実は彼らが持ち込んだ文化で、本当は『高麗犬』と書いていたらしい。ちなみに、東京の狛江も実は高麗江ということで、韓国の部落があったらしい。一つ一つ生活の痕跡を繋ぎ合わせることで、そんな文化が見えてくる。建築様式やお茶碗の欠片や文化生活の聴き取り、習慣や祭りを調べていくと、裏付ける証拠が見つかる。
三芳
埼玉県と千葉県に『三芳』という地名がある。千葉県の三芳村を調べていくと、明らかに周辺文化と異なる風習が見つかる。ルーツをたどっていけば、埼玉県の三芳町の文化風習に共通点が多く見つかる。多分、ある時飢饉か一揆があり、暮らしていけない民が集団で新天地に旅立つ。誰も人が入っていない山の中を開墾して部落をつくる。周辺との交流が無いから、自分達の文化風習をこの地に持ち込み、以前と同じ生活を始める。こうして、文化は人に付いて移動する。
佃島
江戸に幕府を置くに当たり、本能寺の変で関係があった摂津(大阪市)の佃村の民を、徳川家康は江戸に招いた。但し江戸の治安を守るために、よそ者の彼らは隅田川河口の中州を埋め立てた島に居住させられた。隅田川で土座衛門になった人は、川と潮の流れの関係で、ここに浮いてくる。じつは、川岸に流れ着くとその処理をしなくてはならない役人が、流れ着く前に竹ざおで押して流していたと言う話もある。佃の民は、みんなが嫌がるこの処理をさせられた。また、糞尿を処理するため、隅田川を行き来する『汚わい船』の業務も彼らが行っていたようだ。その代わり東京湾近海の漁業権を優先的に与えられたらしい。彼らは佃村から来たので、この島を佃島と呼ぶようになった。獲れた小魚などを醤油で煮詰めて日持ちさせた『佃煮』をつくるようになる。ここにある神社は、住吉神社で、これは大阪の住吉さんを持ち込んだ物。文化風習を見ても、大阪から持ち込んだ物が沢山見つかる。島になっていて、船でのみ陸と繋がっていたため、江戸に近いにもかかわらず、上方の文化が色濃く残っていた。僕が子供の頃は、まだ橋もかかっていなくて、焼玉エンジンのぽんぽん船に乗って佃島に渡った物だ。
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