代田の町家(坂本一成)再考

坂本さんが還暦の時の「例の会」(坂本ゼミOB会)で、好きな作品人気投票を行ったことがあります。先生は内心「HUT T」なんて答えを期待していた節もありましたが、1位はこの「代田の町家」でした。たしか2位は「水無瀬の町家」だったように思います。僕が好きな順番通りの結果になりました。実は、「東京町家」という名前は、この二つの「町家」というネーミングから頂いたものです。伊礼さんからの強い推薦もあり、又、本来なら「名誉東京町家なモノ」とするべき建物ですが、東京町家なモノNo.6に認定させていただきます。

遊歩道側(南側)から見た写真 窓の下に出ているのは物干し掛け

道路側(北側)から見た写真 屋根勾配をのろくしてバトレスを付けたら、家がすっと座った。
学生の特、丁度この建物が建築中で、坂本先生が現場打合せに行く時、同行させて頂きました。車庫の衝立の奥が中庭で、中庭・間室(玄関・廊下)・広間(リビング)まで、真っ白な大理石が敷き詰めてありました。階段も下駄箱もテーブルも、みんな床から浮いていて、広間の床は中庭に繋がり、なんか不思議な浮遊感を覚えた記憶は、今でも忘れません。リビングは吹き抜けていて、南側に中2階状に少し広めのキャットウォークが付いています。この微妙な高さが、実にリビングの空間を引き締め、すわりが良い空間に仕立てている。
この頃、先生は「家型」という事を考えていて、屋根勾配を決めるだけで実に1週間以上スケッチを繰り返していたように思います。その時「日本の民家は6寸なんだよ」と言いながら、なんか間が抜けた形にため息をついていました。ある時バトレス(1階の袖壁)を付けたら、実にしっくりするプロポーションに変化して、まるで魔法を見せられているようでした。
「代田の町家」の低く抑えられたプロポーションと、開口部の開け方は、私の建築原風景になりました。

車庫の突き当りを左に折れるとエントランス、突き当りの向こうは中庭、その奥が広間。
もう、何年になるのでしょうか。
丸谷さんに合うために、初めて梅ヶ丘に降りた日は、東京は珍しく、静かに大雪が降っていて、小田急線が止まるのではないかと心配される日でした。
梅ヶ丘の街は、全ての音と色彩を失い、抽象的な形態だけが連なる、メルヘンのような風景に変わっていました。通りを横切った時に、「昔の恋人」とすれ違ったような錯覚にとらわれ、気になるので折り返して、通りを曲がってみたら、そこに「代田の町家」がいました。銀色もディテールも失い、ただ、プロポーションだけしか見えなくても、そこにいたのは、紛れもなく「代田の町家」でした。身震いがしたのは、雪のせいではありませんでした。
初めての訪問者を、丸谷さんは「温かい豚汁」で迎えてくれました。
外は深々と雪が降り続けていましたが、心も体もとても温かい一日でした。
この日のことは、一生忘れないでしょう。
年月がたち、隣にマンションも建ち、銀色だった壁もグレーに変わり、車庫の車も変わり、遊歩道の樹も大きく育ち、突き当りの教会も無くなり・・・いろいろな事が変わったけど、「代田の町家」は、建築家:坂本一成と共に、そこにしっかりと存在し続けている。
実は、坂本一成さんの自宅には、OMソーラーシステムが搭載されている。
大きな螺旋状に繋がるワンルーム空間を、リーズナブルなコストで、快適に生活できるようにするためには、OMソーラーしかなかったと言っていた。