ヨーロッパの都市は、通りの中央に雨水が流れるように出来ている。こうすれば、建物に水が入りにくいし、人が歩く部分に水溜りも出来にくい。車による泥跳ねも起きにくく、水を止めるためのL型溝の必要ないし、スムーズにアプローチできる。生活者たちの知恵と習慣から生まれた。東村山でソーラータウンを計画した時、行政に生活者の利便性を考え、中央排水を行いたいと申し入れたが、役所の設計基準に無いと却下された。日本の街は、そこで生活する人のためではなく、役所が管理するためにつくられる。だから、どこの街に行っても、人が歩くところに水を持ってくる。排水溝の穴にヒールや乳母車の車輪がはまる。雨の日は水溜りを避けながら歩かなくてはならないし、車が通る度に泥跳ねに用心しなくてはならない。これでは街を楽しむ余裕なんてありゃしない。こんな中、一部行政で中央排水を認めているところがある。生活者のための温度がある行政に拍手を送る。
イタリアの山岳都市では、窓から通りを眺めている老人がいる。見知らぬ人が通ると上から声をかける。その声で、他の人が窓から顔を出し、道を挟んで大声の井戸端会議が始まる。事情を知らぬ私達には、喧嘩をしているとしか思えないような風景だ。ソフィアローレンが出てくるんじゃないかと、期待させるに十分なシチュエーションができあがる。
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